お茶子の昔ばなし その2 「宇布乃園の前身はなんと!?(*^^*)

カテゴリー │宇布乃園






「駿遠豆鑑」という分厚い本が
元「おくら」の中に入っていました。

駿遠ということは、静岡県のいろいろが
載っている本、ということになりますね。

勝海舟という名前も!!



非売品だったようです。

慎重にページをめくると、


「駿遠豆繁昌明細記」とあり、
遠江浜名郡雄踏村のページに、


和久田藤吉 が載ってます。
和久田藤吉は、お茶子のおじちゃんの
おじいちゃんです。

そこになんと!!
「国産太物商」とあります。
絹物が呉服で、逆に太物は綿や麻など
太い繊維で織った着物のことです。
普段着の着物、ということですね。

たしかに、昔は染め物をやっていて、
織り子さんに織ってもらった反物を
売っていたと聞いています。

ついでに、、
糸を染めていた壺、お茶子が子どものころの
お便所(通称 ボットン便所)に使って
いたと聞いています(^-^;
(今のハナレが建つまで、ずっと汲み取り式の
ボットン便所だったので、恥ずかしい思いを
していました。。)

そして、宇布乃園の創業は、明治20年なのですが
、、、
あれ? 「駿遠豆鑑」の出版は 明治30年
その時は 太物商…なんか変ですね…

この続きは、また次のお話しで(*^^*)







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